「朝日が昇る前、私は自分に会いにいく」
SNS、通知、会議、タスク…。
現代を生きる私たちは、毎日“誰か”の声に囲まれている。
でもふと立ち止まったとき、こんな感覚に襲われることはないだろうか。
「……私って、いま何を感じてるんだろう?」
それは“本音”が聞こえなくなってしまった証かもしれない。
そこで私が試したのが──朝5時に日記を書く生活だった。
この記事では、その1ヶ月間のリアルな変化と、“自分との静かな再会”について綴っていく。
なぜ「朝5時」だったのか?
まず、なぜ“朝5時”なのかというと、理由はシンプル。
「誰にも邪魔されない時間が、ここしかなかった」から。
夜はスマホと娯楽に飲み込まれる。
昼間は仕事と会話に追われる。
でも朝5時だけは、世の中がまだ眠っている。
時計の針だけが静かに動いている空間で、私は「私だけの時間」に出会えた。
ルールはひとつ。「正直に書く」
日記といっても、特別なフォーマットは使わなかった。
・ノートとペン1本
・スマホは手の届かない場所に置く
・時間は15分~30分
・テーマなし、その日の気持ちを“正直に書く”
大切にしたのは、「いいこと」を書こうとしないこと。
むしろ、「醜い」「弱い」「嫉妬」「焦り」など、普段隠したくなるような感情を、飾らずそのまま綴っていった。
書き始めて1週間:モヤモヤが文字になってスッキリした
最初の1週間は、まるで“排水口の掃除”のようだった。
頭の中に詰まっていた感情や思考が、書くことで少しずつ流れ出していった。
- 「あの会議、なんか納得いってなかった」
- 「本当はあの言葉、すごく傷ついてた」
- 「なんか最近、自分に嘘ついてる気がする」
書くたびに、心が少しずつ軽くなるのを感じた。
驚いたのは、自分でも気づいていなかった感情が、ペンを動かすことで浮かび上がってきたことだ。
2週間後:書きたくないことこそ、いちばん書く価値がある
2週目に入ると、日記を書くことが「ルーティン」から「習慣」に変わりはじめた。
だが、ある朝、手が止まった。
とある人間関係における「嫉妬」と「自分の器の小ささ」に気づいてしまったからだ。
一瞬、書くのをやめようかとも思った。
でも、意を決してその感情を“ありのまま”に綴った。
すると、終わったあと、深呼吸が自然と出た。
「よく言えたな、自分」
そう思えた瞬間だった。
日記とは「自分の本音を、誰よりも先に自分が受け止めてあげる行為」だと、そのとき理解した。
3週間目:不安や焦りに「名前」をつけられるようになった
「不安」とか「ストレス」とか、漠然とした気持ちを抱えていたが、日記を通じてそれに“名前”をつけられるようになった。
- 「これは“置いていかれる怖さ”だったんだ」
- 「この怒りは、“認められたかった”からだ」
感情に名前がつくと、不思議と力を失う。
そしてそれが、自分をより深く知る第一歩になる。
最終週:気づいたら、毎日がちょっと優しくなっていた
「朝5時に日記を書く」ことは、いつのまにか生活の軸になっていた。
通勤中のイライラも、会議での落ち込みも、“朝に吐き出せている”おかげで、少しずつ受け流せるようになっていた。
自分に正直になることで、他人に対しても少し優しくなれた気がする。
「他人の評価で自分を決めるのは、もうやめよう」
そんな声が、自分の中から聞こえてきたのだ。
結論:日記は、最安で最高の“メンタルケア”だった
ヨガ、瞑想、自己啓発本。
いろんな“自分を整える方法”があるけれど、
結局いちばん効果があったのは──「朝、ペンを持つこと」だった。
誰にも見せない“本音のメモ帳”が、
こんなにも自分を救ってくれるとは思わなかった。
「自分を取り戻す時間」、あなたにもある?
忙しい毎日の中で、「本音」って見失いやすい。
でも、それは“ない”んじゃなくて、“聞いてもらえずに黙ってるだけ”なんだ。
朝5時。
まだ誰も起きていない部屋で、
コトリとノートを開いて、静かに書く。
それだけで、人生の温度が、ほんの少しだけ上がるかもしれない。